天文時代、空誉上人に村人が所持していた剣を見せたところ、「霊剣である」と言われ、村人がこれを安置し一寺を建てたのが “真蔵院” だと、新編 武蔵風土記には書かれています。
更に、ある夜、空誉上人は仏像を背負ってくる夢を見た。目覚めると傍らに不動像があり、これを寺に安置した。
この像が度々他所へ出没するので、扉を閉めて旧暦正・五・九月のみ開扉して護摩を焚くようになりました。
永禄のころ 震雷烈風に見舞われた時、佛殿が大いに振動して止まず、宝剣箱を見ると、箱より宝剣が躍り出て庭には血が流れて あたかも不動明王が悪魔を退治したかのようでした。
それ以降、村は “雷” と言われ、本尊を “雷不動” と称しました。
これより この地に雷が落ちることはないと言われています。
※補足※ 本尊(雷不動)の別名
雷不動
本尊の雷不動は別名 “波切不動”とも言われ、多くの船乗り・漁師に親しまれてきました。
天明2年(1782)行徳より江戸に向かう塩水船が大時化にあい遭難しかかった時、暗夜に一点の光明を見つけ、必死に船を漕ぎ九死に一生を得ました。
光明の出どころを探すと真蔵院の巨松で、その頂に棲む竜が助けてくれたと知ったそうです。その後、竜神は去りましたが、その巨松の根元から発見された剣が、今もこの地に安置されています。
なお、巨松は立ち枯れて現存していません。